「穏やかに働く」は何ではないのか

最近、マンガの記事が続いていたので、久しぶりに違う観点で。

instの石野さんのブログを見ていると「静かな退職」についての議論が書いてありました。

私なりの要約としては、「経営だって、全力で走ることが正義じゃない。であれば、「クビにならない程度に手を抜いて働いてる社員」に対して厳しいのっておかしいの?でも、やっぱり厳しくなってしまうよね。」みたいな感じです。

僕の意見としては、「繁盛している蕎麦屋が2件目を出さないこと」は、誰にも迷惑をかけていないけど、「お給料に見合った働きをしていない社員」は費用にあっていないのでおかしい、という意見です。これに似た意見としては、仕事に対して「だるっ」と言ってしまう人に対しても、「まずはお給料に見合った働きが出来ているのが大前提だよね」と思ってしまいます。(もちろん、僕も「面倒くさいな」と思う事は色々ありますけどね。宮崎駿先生ですら「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」と仰っている位ですので。)

なんで、このことを取り上げたか、というと、うちの会社も「穏やかに働く」ということを掲げているのですが、実はこの記事を読んで、当社は「全ての人にとって」穏やかに働ける会社を志向しているわけでは決してない、ということにふと気が付いたからです。あくまで「仕事が好きで、まじめに働きたい人にとって」穏やかに働ける環境を整えたいのであって、「なんとなく言われたことをやっていればよい」という人にとっては、決して「穏やかに働ける環境」ではない、という事なんだな、と思っています。じゃあ、どうやってその「穏やかに働ける会社」を実現するのか、と問われれば「優秀な人が多いから、優秀な人にとってスムーズに仕事が進む会社」を目指しています。

そして、個人的には、本当に着実にですが、「優秀な人が多いから、優秀な人にとってスムーズに仕事が進む会社」が実現できていると思っています。一般的に「働きやすさ(や残業時間の少なさ)」と「利益率」は両立しない傾向になってしまいますが、当社は「少ない残業時間(全くゼロな訳ではないのです)」で「多くの利益を生んでいる」ことや、その背景として、優秀な人を採用を出来ていることに僕自身、誇りと感謝を持っています。

決して、「穏やかに働く」というのは「全力を尽くさない」というのではありません。かといって「労働の量を上げることに全力を尽くす」のでもなく「労働の質を上げることに全力を尽くす」という事だと思っています。質にも色々あるので、それを表す言葉が「穏やか」という事だということです

また、採用についても「優秀な人」の定義が他の会社とちょっと違っているんですよね。ここは上手く言語化できていないのですが、どちらかというと「普通の会社だと「普通」と評価されてしまうかもしれないけれど、実はいい仕事を地道にしている人」にスポットライトを当てられる採用だと思っています。

そうやって、プライドを持って尖っている会社を、引き続き、運営していきたいなと思っています。